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ダブルワーク

ポスティングのアルバイト

今から10年位前だったかと思う。
都内でポスティングのアルバイトをしたことが有った。
初日は会社の事務所で1時間程説明を受けた。その後、現場リーダーらしき人についていき、実地研修。
バイクを貸与してくれて、私はそのリーダーの後ろを原付バイクで追走。
会社の事務所から30分程走ると、現場に到着。都内でも有数の高級住宅地だった。
最初は、マンションの集合ポストに投函する方法を習った。
リーダーが手本を見せてくれる。その後に見よう見まねでやってみたが、どうも速くポストに入れられない。
その後は1戸建てに配る方法を教えてもらった。約1時間半程リーダーと共に仕事をした。
その後、リーダーは事務所に戻る為に現場から離れた。私一人で現場に残って投函した。
初日はノルマは求めないから、時間になったら帰って来なさいと、リーダーが帰る時に言っていた。
なので、事務所に戻る時間も計算して、現場を離れた。
何枚投函出来たかは、もう忘れた。ただし、おそろしい程数をこなせなかった。
事務所に戻ると、リーダーに今日の実績を報告した。
「エッ?!たったこれだけ?」リーダーに怒り気味に言われた。その後、渡された地図をリーダーに見せて、配れなかった理由等を説明した。益々リーダーは、怒り顔になった。もう怒鳴られる寸前の状態。
地図の精度が悪くて見にくかった、それで現場を探すのに時間がかかった旨の”言い訳”をした記憶がボンヤリと残っている。するとリーダーは「見づらいと言ったって、他のスタッフも皆これでやってるのだから、それは理由にならないでしょ」と強く言われた。
今思えば、当時はスマホの機能も今よりか高性能では無かった。Google Map機能もあったかどうか。
私は仕事をこなせなかった事をただ平謝りして、なんとか初日を終えようと考えていた。
ようやくリーダーからの”追及”が終わり、初日を終えた。初日の勤務は、だいたい4時間程だったかなと。
私はすっかりイヤになってしまった。帰りの電車内で「ムリだな。他探そう」と、辞める結論に達した。
このポスティングバイトは、ダブルワークであった。当時は22時~翌朝6時迄の夜勤をしていた。
ポスティングバイトは出勤する日と、働く時間を自分で決められる。それが応募した最大の理由であった。
夜勤に入る前に3時間位、週三日働ければ良いなと思っていた。
夜勤の時まで体力を残せて、出来るだけ簡単でラクなバイトを見つけたい。そんな「怠け者根性」を木っ端微塵に打ち砕かれた。
こうなると、どうやって退職の意志表示をするかに、私の考えは変わった。
いろいろ考えたが、リーダーに電話をするのは怖かった。ガーガー言われそうな気がした。
仕方がないので、翌日の早朝に電車とバスを乗り継いで、事務所に行った。
まだ誰もいない時間帯だった。入口のドアノブ(事務所は開き戸式だった)に、会社から借りた備品をビニール袋に入れて吊る下げた。そして、ドアに次の様なメモを書いて貼った。

「自分が考えていた内容と大きく違うので、辞めさせて頂きます」

誠に勝手な退職理由である。いわゆる初日バックレをかましてしまった。
その日は午前10時を過ぎると、携帯に何度も着信が有った。私は留守電を解除した。(伝言を入れさせない為に)
そして、夜勤明けでもあったので、寝る為に携帯の電源もOFFにした。酷いヤツですよね。(笑)

結局、ポスティングバイトは後にも先にも、この1日(1回)だけである。(2021年7月現在)
電話は、その数日後も4,5回は着信が有りました。けど ”ガン無視”。(笑)
給料は無事に振り込まれました。けど、その時に会社から指定されて開設した銀行口座が、未だに残っています。
解約をしたいのですが、その通帳は引越した時に部屋の何処かに紛れてしまった模様。
私の中では、苦いアルバイト体験の1つです。


作成者: つ―ぽん

40歳を目前に、非正規雇用労働者として生きていくことを決意した男。
体験した職業の数は、50を超える。(正社員と非正規雇用を含め)
現在は、アルバイトでWワークをしながら、生計を立てています。
妻と二人で神奈川県の片隅に、ひっそりと暮らすアラ漢(60近いオトコ)です。