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番外編

初めての中退

今回は仕事とは別なストーリーです。2019年の6月から三ヶ月コースで、職業訓練校に入学しました。
場所は都内の専門学校。科目はWebクリエイターコースでした。

その頃の私は、「今後は肉体労働的な仕事でなくて、オフィスワークをしたいな」と、考えていました。
職業訓練校のWeb制作の講座は、この頃には既に大人気でした。その為競争率が高くて、私は2度不合格して3度目にしてようやく入校が出来た程。
元々どのWeb制作コースでも定員が少ないのも、競争率が高くなる原因でした。(30名前後がほとんど)

いざ講習が始まると、html言語の講習以外にPhotoshopの講習が有りました。
私はこれが、大の苦手でした。放課後に残って残留時間ギリギリ(授業終了後2時間まで学校に残れる。それ以降は強制的に下校させられる)までPhotoshopの復習をするのですが、どうにも操作を覚えられない。
自宅にあるPCでもPhotoshopを使える様に、1年間のサブスクリプション契約までをしました。
職業訓練校に通学していると、特別学生割引のサービスを受けられました。(現在も実施中かは不明です)
1ヶ月あたり¥2,000~¥3,000位だったかと思います。

私にとってクラスの男女比も、今思うと ”苦戦”の要因でした。
30人のクラスで、男性6人:女性24人。しかも女性は私より若い20代から30代の年齢層が多数。
放課後に残るのは、男性では私1人だけ。他の5人の男性は過去の職業経験からPhotoshop又は、Illustratorを使っていたこともあり、放課後の自習は不要だったのです。

放課後に講師は、教室にはいません。1階の講師室には待機していますが、エレベーターで1階まで降りていくのも面倒です。(自分達の教室は4階か5階にありました)となると、周りの生徒に質問して教えてもらう流れになるのですが、皆女性。しかも私よりかなり若い。私は家族(妻)以外の女性と、この頃は何年も会話らしきものをしてません。「質問したら迷惑かな?」「オヤジ、ウザい!」なんて思われるのもイヤだしなー。
こんな調子で質問も出来ずに、毎日時間ギリギリまで残っていても、少しも成果が上がりません。
最初の1ヶ月は、何とか授業にこそ出席していましたが、完全に”オチコボレ”てしまいました。
大学まで学生生活を経験した中で、初めて味わう”オチコボレ”の気持ち。
大学だってFランク。高校も神奈川県の当時の新設公立校で、偏差値もたいして高くない自分ですが、学生時代授業を受けていて、全くついていけないという事はありませんでした。
この状態になると授業時間は、地獄の長さですね(泣)。
二か月目になると、腕時計とニラメッコして「あと5分で終わる」、「この授業が終わればお昼で一息つける」、「この授業が終われば、今日は終了だ」なんて、考えていました。もう職業訓練どこではありません(苦笑)。
結局7月の第一週の金曜日頃に、退校届けを受理して頂き見事に”中退”しました。
退校の理由は「親の介護で通学困難」という事で。しかし、これは全くのウソ(笑)。
授業についていけない等の理由で退校すると、今後の別な訓練に応募出来なくなる可能性があると、ネットでみたものですから。この先働いて退職後に、この制度(ハロートレーニング)を又利用したいなと、思っていた為。それで本当のことを隠しておきました。
怠けていたわけでは、決してありません。自腹でサブスクリプション契約までして、毎日自宅でも自習をした程ですから。頑張っても全く歯が立たない体験をこの歳になってするとは...(>_<,)
私はかなり挫折感を味わいました。

その後1ヶ月間(7月いっぱい)は自宅で、HTML・CSSとPhotoshopの通信講座等を利用して、自習に励みました。しかし、著しい成長を感じることができません。
8月になり、夏の甲子園が始まる頃には、完全に自習もヤル気をなくして、テレビで甲子園観戦だけの怠惰な毎日。

9月下旬の失業給付金の支給が切れるまでは就業せずに、”自宅警備員”の毎日。
翌年6月まで、Photoshopのサブスクリプション契約の支払いだけが、残る”オチ ”となったのです。


作成者: つ―ぽん

40歳を目前に、非正規雇用労働者として生きていくことを決意した男。
体験した職業の数は、50を超える。(正社員と非正規雇用を含め)
現在は、アルバイトでWワークをしながら、生計を立てています。
妻と二人で神奈川県の片隅に、ひっそりと暮らすアラ漢(60近いオトコ)です。